• [投票期間] 2009/06/19 〜 2009/06/27
  • [投票数] 367票
■A案
脳死を人の死とする変更に
海外での臓器売買や、臓器売買目的の殺人が行われ、それらの臓器が日本人に移植されている現状を鑑みれば、A案が妥当。
以前から、何かあったら臓器提供出来るよう、意思表示カードは必携してます!
他の案だと、臓器提供に同意してくれた遺族の方が、患者本人の死を決定することになってしまい、遺族に精神的負担を強いることになってしまいます。死の基準は、一律の方が良いと思います。
移植を待っている人を国内で解決することが最重要かと思います。
臓器移植による治療を否定しないならA案しかないでしょう
保守派です。以前は脳死状態でもそれを支えるご家族に共感しD案支持だったのですが最近A案支持になりました。理由は脳死が死への道程で生へ戻れない地点にあること、そのコストは納税者全員が負担すること等です。
本人の意思が尊重される手段(ドナーカードの普及)を前提にA案が望ましい
脳死した人を持つ家族にはきついとは思うが、適合臓器があれば助かる子供の《生存の可能性をあげるにはやむを得ない。一番よいのはES細胞などの研究が進んで必要な臓器を製造できる日が来るまでは。
脳死を死と受け入れられない親は拒否すればいいじゃん
提供可能年齢に制限をつけるB案/C案は論外。D案は死の定義が現行法と同じく中途半端でNG。15歳未満の拒否権は考える余地あり。
WHO方針、国際基準を考えれば日本も決断の時が来たということ。あとは脳死=原則人の死の定義を医療現場での病院側都合による医療行為打ち切り説得、その為の脳死状態患者家族の意思誘導に利用されんよう注視すべき
AかDだよね。B,Cは個人的には×案です。
脳死状態の我が子と共に暮らしている親御さんにとっては脳死を人の死とされてしまうことは非常にショックでありましょう。しかし脳死認定即臓器提供ではなく提供は家族が判断できるわけで、ベターな案だと思う。
海外に頼りっきりと言うのもそろそろ終わりにしませんとね。それに国内ならばスピード・家族の負担も格段に減りますし。
助かる命が優先。反対論者の感情に配慮して親の意志で決められる。そもそも、その不幸?な子は生きていたいと願うのだろうか?神のみぞ知る。
助けられる命があるのなら、助けて欲しい。大変な難しい問題だが政治家はそろそろ判断すべきだ。修正すべきは柔軟に対応して。
A案がダメならば、海外での臓器移植も禁止すべきだ。
移植法としてはD案がいいのですが、今回の死の定義が今後の患者(脳死の)家族の負担低減になるのではと考えました。そういう子を持つ親としては割り切れないとは思うのですが。
これ以上、引き伸ばすことのほうが罪深くはないか?
身体の一部分だけでも生きているなら、それは完全な死ではない。我が子が小さいときに脳死と判定され、死に至るとしたら・・・この子が生きた証として新たな命を渡したい。
A案は「脳死は一律に人の死」ではないから。その患者と家族によって「どのようにでも解釈してよい」というのがA案。反対派の方は原案を見てないか、マスコミに騙されてるだけです。ほかの選択肢はあり得ません。
移植するために、巨額の費用をかけて外国へ行く必要がなくなるので、これが一番だと思います。
国が脳死を人の死と定めているので、家族が死を決断する負担がないA案を支持します。臓器提供に関しては、どうせ火葬したら骨しか残らないのですから、本人や家族の意思確認そのものが無くても良いと思います。
5年ごとに改正する、のがよい。ほとんど宗教であり、結論は出ない。「私はこの判断方法で判定してください」とするのがいいのかも。
日頃軽蔑している河野、加藤、岡田、菅などと同意見なのは初めて。
但し、脳死後に蘇生している例もあるので、判断を慎重にすることが条件。
BおよびC案は臓器移植を進展する気がない。D案は条件を付けているが何故年齢に差をつけるのか意味がはっきりしない。A案が臓器移植を進めるにはもっとも現実的である。
脳死を家族が認めれば脳死とする
死の定義はできれば現行法と同じがいいけど、国内移植の門を広げるためにはやむなし
海外へ行って臓器移植を行うというのは、不健全な状態だと思う。15歳以下の子供には両親の同意が必要なわけで現在脳死状態に近いと思われるお子さんを育てているご家族は、そのままで問題ないのでは。
闘病期間や年齢によって当人も家族も心境が変わりますから、人によってどれがいいかというのは変わってきますね。
父親の脳のCTスキャンの経過観察から、脳死は紛れもなく死と規定してよいと確信する。
医療従事者からみたら脳死も人の死
臓器提供したい人が提供できるようにしておく必要があると思うので。
ブタ臓器やサイバー化(人工臓器、機械化)と言った手段がないため、他に救命措置がない
脳死=人の死という項目だけは反対だが、あまり複雑な法案は賛成しかねます。よって最もシンプルなA案を支持します。ただし、最初の言いましたが、脳死=人の死と決めるところは改定してもらいたいです。
現状、脳死のお子様をお持ちの方には悪いが、それが本人の意思かどうかわからない。もしかしたら「生かされている」状態なのではないかという疑問があるから
国内の小児移植を行えるA案に。「人工臓器開発までの時限立法とする」改定案を付帯して欲しいですが。
脳死=死。死んだあとの遺体の処置は、生前の希望がなければ遺族に任されてよいのでは。また、脳死=死と考えられない人はそもそも脳死判定を受けなくて済むようにもなっていますしね。
国内で手当てできるようにすべきだ。
いろいろ迷った末に、トリアージ的な考えに基づいてこうなりました。
本人が同意していれば家族の同意もいらないかなぁ。遺族にしてみれば亡骸が切り刻まれるのは辛いだろうけれど。。。
ただし、臓器の提供先にはドナーの意向を反映させることを禁止する。臓器売買に繋がるため。
海外に移植に行くくらいなら時刻でやるべき。
国のような力をもっているものが決めてあげたほうが良いのではと。
選択肢が増えることを歓迎すべき
脳死=死 という考えは日本人になじまないという意見をよく聞くが因習と人の命とどちらが大事?宗教上の理由から輸血を拒否し我が子を死なせた親がいたがそれに通ずるものがある。
問題は有るにせよ、どこかで線引きする事は必要になるでしょう
凝縮して言えば「所詮私たちは時代の波に呑まれていくしかない」つまり結局欧米化、しかし変化の後には必ず答えが見えてきます、「やっぱり日本人はこうあるべきなんだ」私はいずれ辿り着くと信じています。
■B案
脳死を人の死として受け入れていません。人工呼吸器をつけていたとしても心臓が動いていたら体は生きています。だから心臓移植も成立する。
心臓死が人の死です。移植なんて考えられません。
■C案
難しい問題ですね。もっと議論が必要だと思います。それと日本人の死の考え方に脳死は合いません。通夜というのは黄泉がえりを祈るものですから。
直面した人にしか本来の発言権は無いかもしれないが、選ぶならばC案
臓器移植には反対です。再生医療で対応すべき。
但し、提供可能年齢は「制限無し」
提供する側に配慮が足りない。受け取る側の命だけが尊いのでは無いと思う。
もっと議論が必要だ
自分の家族にもドナーカードを持たないよう徹底しております。何故、通夜という儀式があるかを思い出して下さい。
心臓停止と脳死、何を持って人の死とするかの厳密化が必須と思います。臓器売買や合法的殺人となる危険性を検討してほしい。
助かる為に人の死を望むというのにどうしても抵抗があります。なんかお金持ちとか特権ある人の為になんか殺されそうで怖い。
遺体に対する尊厳を守るのは日本人として当然。他人に臓器を提供して構わない人は臓器移植カードのようなものでなく、きちんとした証書を作成しておくべきだ。
■D案
脳死を人の一般的な死と規定してしまうことにはやはり躊躇を覚える。
AとDで迷いましたが、脳死を一律に法的な死亡としないDにしました。
臓器売買ビジネスを盛んにさせないためです
移植を待つ日本人の救済と臓器売買犯罪防止のため。ただ脳死判定には慎重を要するので間を取って。
移植を待っている方にすれば、A案でも良いと思うが、D案のほうがより内容も好ましく思える
助かる命があるとしても、家族の命をつかってもらいたくないし、まだ、心臓は動いているから、本人の意志でない限りは、受け入れられないです。
某隣国のように、子供の臓器を売ったりする親が出てこないことを祈るだけです。いつもこの様な問題が出るたびに思うのですが、日本の宗教家たちは一体何やってんですかね?
年齢制限撤廃には反対です。たとえ脳死判定されたとしても、未成年(特に乳幼児)は脳波が復活する事例が国内でも多数報告されています。
死の定義には議論の余地を残しておいて、現段階では年齢制限を解除をする。卑怯と思うが、いきなりよりは受け入れられるだろうから
心臓死を死と認定定義する。
脳死という一器官の死が人の完全な死だとは思えないから。もっとも仮に生物学的に完全な死の状態であってもそれが必ずしも絶対的な死であるとも限らない訳ですが…。
人の死の事なので
A案では、脳死の判定など疑問がある。A案にするならもっと議論しなければいけない。
脳死判定の明確な基準の確率を希望しています。この問題は、脳死が人の死として確定できるかどうかが、全ての前提だと考えています。
4案の中から選ぶなら、Dです。4つの中では、一番バランスが取れていると思いますので。
海外での移植=金にモノを言わせてその国の順番待ちに割り込むと言う様な頭の悪いイメージがどうしても消せず日本国民の命は国民の中で救うべきだとは思います。只A案は感情的(上手く表現が、、)になんか嫌です。
一番妥当かなと思う。
ADで迷いましたが、「遺族」にとって脳死は人の死と納得できる世論にはまだ行き着いてない。いずれそうなるべきだろうと思うが。
人の死を法律で定義すること自体に賛成できません。脳死による臓器移植を待つということは早く誰かに死んでくれと言っているようなものです。そこには死の美学がありません。
やっぱりA案は反対ですね。B案とC案じゃ今までとあまり変わりませんし、そうなるとD案が無難だと思います。
2児の父である医師です。臓器移植が他人の死が前提になっている以上、無制限に条件を拡げるわけにはいかないと思います。例え自分の子供が待つ側になろうとも。※私自身はドナーカードを携帯してます。
A案には絶対反対。A案の本当の目的は死の定義を一律脳死とし,最終的には反対の意思表示がなければ臓器摘出をデフォルトにすることにあったのでは。
でも結局死んだあとのことって家族次第かなーとは思いますが。
脳死を人の死と決めるには介護をしている方たちにはやるせないと思います
脳死を死とするには多数決は不適当
臓器が欲しいと言う人の為だけに、脳死を人の死と決めつける事に抵抗がある。本人が同意していると言うことと家族の同意を前提にして人の死として欲しい。
麻生さんもD案支持と聞き、ネットでも改めて麻生さんの人柄評価されてますね
保険証などに意思表示欄を設けては。
■わからない
国会で結論を急ぎ過ぎだと思う。国民もとまどっているのでは
社会貢献とはいえ、実際に自分や自分の身内が脳死となるとまず臓器提供に同意出来ないと思います。
臓器移植をしたこともされたこともないので
対象となる重病患者や脳死患者の、どちらに近い立場に立つか、体験・経験の度合いにより違うので、永遠にそりあわない。生まれたら長寿を全うするのが当然の時代と思い込みすぎているような気もします。
■その他
移植そのものに反対です。人の臓器を当てにするのは日本人のモラルの低下です、病気になったのは誰の所為でもなく、人を当てにするのは、恥ずかしい限りと思います。
臓器移植に反対
脳死は人の死。臓器移植は法律で禁止。
脳死を人の死とするならば、治療する努力を怠ると思う。 15歳未満の子に判断させるのは無理。 色々思惑があり、 意見を言えないこともあると思う。
正しい議論を尽くして決めるべき。
D案の「本人が拒否しなければ」というのが曲者です。生前の本人の意志確認をなくして臓器提供は有り得ない。臓器は工業部品ではない。年齢制限撤廃に異論はないです。
臓器提供に本人の意思は必須。
全部駄目・・・
臓器移植そのものに強い違和感を覚えます。助かる人がいるのは分かりますが、他者の臓器まで使用することは、むしろ法律で禁止するべきだと考えます。人はもっと死の可能性を残すべき。
現行法
皆さんのコメントを読んでいるうちにますます分からなくなってきました。

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